耳鼻咽喉科診療の中で、「嚥下障害診療が得意」という方はあまり多くないのではなかろうか。飲み込みにくいという症状は耳鼻咽喉科医の専門領域である「口腔・咽喉頭」を中心として生じるが、頭頸部腫瘍などの一部の器質的疾患を除けば、中枢から末梢の筋にいたるまでの脳神経内科的な疾患や内分泌疾患、自己免疫疾患など、教科書的な耳鼻咽喉科疾患ではない疾患による機能障害が大部分を占めている。耳鼻咽喉科診療で扱う疾患の多くは診断と治療が直結する一方、嚥下障害は感覚入力から運動出力までの多彩な病態を呈し、診断と治療の標準化が難しく嚥下障害診療へのハードルを高くしている要因である。
一方で、嚥下障害の原因の多くを占める脳神経内科領域でも実は嚥下障害の診断に精通している医師は少ない。脳神経症候や錐体外路症候など、間接的に嚥下障害を推定し得る所見があっても、嚥下の複雑な動的パターン異常と1対1に対応するとは限らず、疾患の初期症候として嚥下障害が前景に立つ場合は特にその客観的評価がしにくいからである。
耳鼻咽喉科医が嚥下障害の診断において果たすべき役割は、「のみこめない」「むせる」という自覚的な「症状」を、口腔から食道という解剖学的な食物の通過経路としての側面と、中枢神経から筋に至るまでの入力から出力に至るまで神経回路としての側面との両面から「徴候」に変換して列挙・整理し、当該診療科での診断・治療がスムーズに行えるように的確な方向性を指し示すことにある。
したがって、嚥下障害の診断には、嚥下内視鏡検査や嚥下造影検査のみならず、問診や神経学的所見などの一般診察での所見も重要である。診察室に呼び入れる時点から、入室に介助を要するのか、杖歩行なのか、車椅子なのか、歩様とそのスピード、荷物を置く動作のスムーズさにも注目する。挨拶をかわしながら、着席した患者さんの顔貌を観察する。脂漏性ではないか、仮面様ではないか、麻痺はないか、整容は保たれているか。パーキンソン病や筋強直性ジストロフィーは特徴的な顔貌を呈し、姿勢障害、小刻み歩行やすくみ足はパーキンソン病の典型的な所見である。
問診では、「のみこみにくい」という自覚症状を具体化していく。何が食べにくいのか(固形物か液体か)、痛みを伴うのか。固形物の嚥下困難感を訴える場合は、口腔準備期(咀嚼)の障害と咽喉頭の通過障害を念頭に置き、口腔内の診察(義歯不適合や歯牙不良の有無)や頸部・胸部の画像評価や咽喉頭、食道の内視鏡による詳細な観察を主眼に診察を進めていく。また、食事時間の延長や、体重減少、肺炎の既往かは、嚥下障害の存在を支持する所見である。そのほかの運動障害がないか、階段昇降はスムーズか、転倒傾向はないか、力が入りにくいところはないか、震えはないかなど、嚥下障害が神経筋疾患の初期徴候である可能性を常に視野に置く。また、問診のやりとりの中で受け答えに不安定な印象を受けた場合は、物忘れの有無や幻視の有無、行動異常の有無など、認知症を疑う症状がないかもチェックする。
視診では、口腔・咽頭の器質的な所見のほかに、下位脳神経所見に重点をおいて観察する。特に、第Ⅸ、Ⅹ脳神経所見は、軟口蓋麻痺やカーテン徴候、咽頭収縮の左右差、声帯麻痺の有無など、喉頭ファイバーを日常診療に用いる耳鼻咽喉科医だからこそ正確に評価し、動画として記録し得る。また、舌の異常運動にも留意する。球麻痺発症型の筋萎縮性側索硬化症では舌の線維束性収縮が唯一の他覚的徴候であることがある。また口舌ジスキネジアの存在は抗精神病薬の使用や錐体外路症候を呈する疾患の診断の手がかりとなる。
嚥下内視鏡検査では通常の喉頭ファイバー検査による器質的な疾患の有無に加え、鼻咽腔閉鎖機能、咽頭麻痺や喉頭麻痺、咽喉頭の不随意運動の有無(振戦やミオクローヌス、線維束性収縮、ジスキネジアなど)、咽喉頭の唾液貯留や咽喉頭の感覚機能の評価、ホワイトアウトの有無や程度、早期咽頭流入の有無、嚥下反射の惹起のタイミング、咽頭残留の有無などの病態を評価する。一言で唾液貯留といっても、喉頭腔内の唾液貯留は喉頭知覚の低下を、両側の梨状陥凹であれば、食道入口部の開大不全や嚥下圧の低下を、片側の唾液貯留は悪性腫瘍などの器質的疾患を示唆するなど、なぜそのような所見が生じているかを常に考察することが重要である。
嚥下障害診療ガイドライン2018年版では、これら問診、視診、嚥下内視鏡検査による評価を行ったのち、その対応基準を「外来での経過観察」「外来での嚥下指導」「より専門的な医療機関へ紹介」「評価・治療の適応外と判断」にわけてアルゴリズム化し提示している。本講演では、このアルゴリズムに応じた診断のポイントを、より実践的に症例を提示しながら解説する。
木村百合香
1998年 東京医科歯科大学医学部医学科卒業
1998年 東京医科歯科大学医学部耳鼻咽喉科入局
2003年 東京都老人医療センター耳鼻咽喉科 医員
2009年 東京都健康長寿医療センター(独法化により名称変更)医長
2015年 昭和大学医学部耳鼻咽喉科学講座准教授
2017年 東京都保健医療公社荏原病院 耳鼻咽喉科 医長
2019/05/11 10:25〜11:25 第1会場