癒着性中耳炎、真珠腫性中耳炎に対する治療は鼓室形成術が主体であり、手術を成功させるにあたっては術後の中耳粘膜の再生が極めて重要である。中耳粘膜が早期に再生されれば術後の中耳腔の含気を保つことが可能となり、病変の再発や鼓膜の再癒着が防止でき、良好な術後聴力が期待できる。これまで数々の手技的な工夫がなされているものの、病変の再発や鼓膜の再癒着を確実に防止する方法はなく、術後成績には限界があると考えられる。
われわれの教室では以前より中耳の粘膜再生の研究を行っており、3次元的に人工の中耳粘膜を作製し、ウサギの中耳粘膜障害モデルに移植することで術後の良好な粘膜再生を促すことを確認した。その後は中耳粘膜の再生医療のヒトでの臨床実現化を見据え、温度応答性培養皿による細胞シート技術による中耳粘膜の再生の研究を進めてきた。細胞シート作製の細胞ソースとして、外来にて低侵襲で採取可能で中耳粘膜に解剖学的にも連続性があり組織学的にも近似した鼻腔粘膜に着目し、術後中耳粘膜の再生を促し鼓膜の再癒着を防止する目的として、鼻腔粘膜を用いて温度応答性培養皿で自己の培養上皮細胞シートを作製し、術後の中耳腔へ移植する新たな治療法を開発した。 in vivoにおける前臨床動物実験においての成果も得られ、またヒトの鼻腔粘膜上皮細胞シートの作製にも成功した。さらには東京慈恵会医科大学内の GMP( good manufacturing practice)に準拠した細胞培養施設( cell processing center : CPC)の設備を整え、培養スタッフの教育と訓練を行い、移植にいたるまでの一連の工程が、一貫して円滑に稼働するようなシステムを構築した。
この新規治療はヒト臨床実現化にすでに成功しており(「ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針」に準じ、厚生労働省より承認取得)、5人の患者に細胞シート移植を施行し移植後の良好な経過が得られている。現在は「再生医療等の安全性の確保等に関する法律(再生医療新法)」に基づき承認を取得し、平成28年度より日本医療研究開発機構( AMED)からの予算獲得を受け、再生医療実用化研究事業として探索的臨床試験の位置付けで新規ヒト臨床研究を実施し、さらに9人の患者に移植を安全に施行している。
本研究の出口としては医師主導治験を想定しているが、治験を行うためには、「医薬品及び医薬部外品の製造管理及び品質管理の基準に関する省令」に遵守し、医薬品医療機器総合機構( PMDA)が認可する治験プロトコールの確立が求められる。
PMDAとの事前面談により、治験を行うためには細胞シート作製にあたり生物由来原料基準へ適合した試薬および材料を用いる必要があると考えた。現在の臨床研究においては、鼻腔粘膜組織をヒト血清含有培地でエクスプラント培養を2週間行い、温度応答性培養皿に継代培養を行っている。しかし一部は研究試薬であるとともに異種材料が含まれているため、新規製造方法の確立が求められた。ヒト血清は血液採取による患者への侵襲や採取血液量による培地量の制限、個人差があるため、ウシ胎仔血清へ変更することが望ましいと考えた。そこで現行の製造方法と性質が同一でかつ PMDAの合意が得られた試薬と培養基材、ならびにウシ胎仔血清を使用する新規製造方法で作製する細胞シートと、現行の製造方法で作製する細胞シートとの比較検討を行った。エクスプラント培養では、現行のヒト血清が新規のウシ胎仔血清よりも鼻腔粘膜細胞の増殖に効果が高かったが、 Y27632を添加することにより、同等程度の増殖性が得られた。継代後は新規製造方法でも細胞シートとして剥離ができ、移植基準である細胞生存率70%以上を満たしていた。このように、新規製造方法でも現行と同等の細胞シートが作製可能であることを確認した。
また再生医療新法では細胞を加工する場所を別に設置することが可能になり、各施設の外来で術前に採取された鼻粘膜は一度ほかの場所にある CPCへ輸送し、細胞シートを作製したのちに、手術日に元の施設に運ばれて移植することができる。このように細胞シートの適切な輸送方法が確立されることで、遠隔地を含めた多施設での再生医療を提供することが可能となるが、輸送が細胞シートの作製やその後の移植に影響を与えるかについての検討も併せて行った。直線距離にして約 50km離れた聖マリアンナ医大でこれまでに2例の患者から組織を採取、細胞シートの作製を行ったが、これらはすべて成功し、品質規格も全項目において満たした。移植手術も逸脱なく実施され、これまでの術後経過はすべて良好で、合併症や有害事象は認められていない。これらの成果から、 CPCを持たない施設を含めた多施設での本治療が可能となると考えている。
小島博己
1987年 東京慈恵会医科大学卒業
1987年 東京慈恵会医科大学耳鼻咽喉科入局
1995年 医学博士
1995年 米国ハーバード大学ダナファーバー癌研究所留学
1999年 東京慈恵会医科大学耳鼻咽喉科学講座 講師
2006年 同上 助教授(准教授)
2013年 同上 教授
2016年 東京慈恵会医科大学附属病院副院長
2019/05/10 15:20〜17:20 第7会場