第120回 日本耳鼻咽喉科学会総会・学術講演会

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【はじめに】
発話障害の原因は大きく3つに分けられる。①発話運動を計画し運動指令を出す大脳レベルの障害、②指令を伝える伝導路の障害、③指令に従い発話運動を実行する器官の障害、である。①がいわゆる高次脳機能障害による発話障害で、主なものに失語と発語失行( apraxia of speech、以下 AOS)がある。②③は構音障害である。本講演ではこのうち①に注目し、特に AOSの機序について、近年提唱されている発話モデルに基づいて概説する。続いて、最近注目されている2つのトピックス、小児発語失行と進行性発語失行について述べる。

【発語失行の発症メカニズム】
思考する際に用いられる言語を内言語といい、内言語の障害が失語である。したがって失語では、発話障害だけでなく書字障害もみられるのが一般的である。また文法の理解や使用にも障害がみられる。これに対し、 AOSでは障害が発話面に限定され、発話における運動プログラミングの障害と定義されている( Darley, 1969)。これがどういうことなのか、 Leveltらの発話産生モデル(1999)に基づいて説明する。例えば今、「バナナ」と言いたいとする。バナナの概念にかかわる脳領域が働き、「バナナ」という単語の未分化な状態の音形が想起され、これが分節されて「バ」「ナ」「ナ」という音節が切り出される。この過程を音韻符号化といい、その障害では失語症状のひとつである音韻性錯語を生じる。切り出された音節から目的の単語を発するには、どの順番にどの程度構音器官を動かすかという具体的な運動計画が必要である。これを運動プログラミングという。また、単語だけでなくひと続きの文章を言うためには、運動プログラミングが一時的に次々と蓄えられる必要がある(バッファリング)。この、運動プログラミングからバッファリングまでの過程を音声(音素)符号化といい、この過程の障害で生じるのが AOSである。バナナの例でいくと、音節はba―na―naのように母音を中心とした要素だが、音素は /b// a/ /n// a//n// a/であり、音素の符号化はより詳細な運動計画の過程である。音声符号化に基づいて発語運動が実行されるが、この実行過程の障害が構音障害、ということになる。

AOSの臨床特徴は、①音の連結不良 ②一貫性のない構音の歪み ③構音運動の探索と自己修正 ④発話開始困難・努力性発話 ⑤プロソディ障害、とまとめられる。これらの特徴には、発語運動にとって感覚情報のフィードバックが重要であることが現れているといえる。 Hickok(2012)によれば、発話による声道の状態変化を表す体性感覚情報と、自己の発した語音の聴覚情報は、それぞれフィードバック情報として次の発話運動計画に使われる。そのときの脳内の経路は別々であり、体性感覚情報は中心後回などから運動前野・中心前回・島へ、聴覚情報は上側頭回などから Broca野への相互結合を経て処理され、それぞれ音素、音節の調整にかかわる。 AOSは、主に音素の処理にかかわる領域の障害で生じ得る。

【小児発語失行】
日本では、発語失行といえば脳損傷により成人期に生じるものを指すことがほとんどだが、欧米ではむしろ小児発語失行(発達性発語失行)の研究の方が主流である。その特徴は、①音節や単語の繰り返しに際して、母音も子音も一貫性のない誤りを呈する ②音と音節の間の同時調音移行ができないか長くなる ③不適切なプロソディを呈する、とされており、成人 AOSとほぼ同じ臨床像である。違いは、脳の形態的異常がみられないこと、摂食や口内感覚の異常、口部顔面失行や手指巧緻運動障害なども伴いやすいことである。言語遺伝子として注目された FOXP2(現在では、言語に限らず速くて精緻な系列運動のコントロール学習に必要な遺伝子とされている)関連の言語障害としても有名である。器質的な異常が証明されないため、日本では機能性構音障害と診断されているかもしれない。また、言語発達の遅れを伴うこともあり、発達障害と診断されているかもしれない。日本における現状把握が、今後必要になると思われる。

【進行性発語失行】
前頭側頭葉変性症などの神経変性疾患では、認知機能全般は低下せずに、失語だけが長い期間続く病態があり、原発性進行性失語という。このうち、典型的な失語症状を来さず、発語失行だけが長く続くものを進行性発語失行という(やがて失語症になり、最終的には認知症になる)。 AOSを聴覚印象のみから診断することの困難さはこれまでも多く指摘されてきたが、変性疾患の場合はさらに難しい。構音障害や音声障害も伴っていたり、その内容も血管障害によるものとは異なっている場合がある。しかし、進行性発語失行評定スケールを作成する試みもあり( Josephsら、2012)、発話速度低下が顕著であること、文が長くなるほど音の歪みや歪んだ音による置換が増えることなどが指摘されている。

永井知代子
1991年 山形大学医学部卒業
1991年 山形大学医学部第三内科入局
1993年 東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程入学
1995年 東京女子医科大学医学部神経内科・研究生
1995年 日本神経学会専門医
1999年 医学博士
2004年 日本内科学会認定医
2006年 科学技術振興機構ERATO浅田共創知能システムプロジェクト・研究員
2011年 帝京平成大学健康メディカル学部言語聴覚学科・教授
2011年 帝京大学医学部神経内科・非常勤講師

2019/05/09 16:00〜17:30 第5会場