【はじめに】
頭頸部には視覚・聴覚・平衡覚・嗅覚・味覚・喉頭などヒトが人らしく生きていくために欠かすことのできない感覚やコミュニケーションにかかわる臓器、摂食・嚥下・呼吸など生命維持に必須の臓器が存在し、癌の治療にあたっては、他領域以上に根治とともに生活の質(QOL)の維持が求められる。この命題に答えるため、頭頸部がんに対しては、他領域に先駆けて、手術・放射線・化学療法を組みあわせたさまざまな集学的治療が行われてきた。最近では、内視鏡や手術支援ロボットを用いた低侵襲手術、分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬、粒子線治療などさらに多彩な治療法を選択できるようになった。一方、世界に類をみない高齢社会を迎えたわが国では、頭頸部がん患者も高齢化し、臓器機能の低下や併存疾患、重複癌、認知障害を伴う症例が増えてきた。さまざまな制約を抱えた目の前の症例に対し、多彩な選択肢の中から最も適した治療法を選び出す指標となるエビデンスの創出が求められている。本宿題報告では、われわれがこれまで頭頸部がんに対する治療の最適化(Precision Medicine)を目指して取り組んできた成果を報告する。まず初めに全国症例登録事業の整備について紹介し、続いて日々の臨床から得られたエビデンスをクリニカル・クエスチョンの形式で解説する。最後に、新たな医療技術の開発を目指したトランスレーショナル・リサーチの一端も披露したい。
【ビッグ・データによるエビデンス創出を目指した全国症例登録システムの整備】
頭頸部がんの発生数は年間約20,000例と比較的少なく、口腔・鼻副鼻腔・上咽頭・中咽頭・下咽頭・喉頭・唾液腺などさまざまな臓器が含まれる。胃がんや肺がんのように十分な症例数を確保して無作為化介入臨床試験を行い、個々の症例に対する最適な治療法を選択するための指標となるエビデンスを創出することは難しい。こうした背景から、われわれは日本頭頸部癌学会が運営する悪性腫瘍登録事業を整備してより多くの症例を登録し、関連学会・研究会の協力を得てオールジャパン体制でビッグ・データを活用できる体制の構築を計画した。参加施設のデータ登録業務の負担を軽減するためには、院内がん登録に入力されている基本データを一括して全国登録のデータベース(UMIN/INDICE)に登録できるように「一括登録」支援ツールを開発した。年々増加する登録数に対しては、新たに和歌山医科大学臨床研究センターと契約を結び、ユーザー登録、データ登録の依頼・催促、収集データのクリーニング、収集データの集計などのデータセンターとしての業務を委託した。これらの取り組みにより、年間登録数は1万例を優に超えるようになり、予後調査も開始された。基本情報だけでは解析困難なテーマについては、全国登録のデータベースと連結してweb―based Case Report Form(webCRF)をUMIN/INDICE 上に作成し、全国登録のデータを活用した後方視的観察研究を行うシステムを開発した。既に、本システムを活用してHPV 関連中咽頭癌の非介入後方視的観察研究を実施し、700例を超える症例登録が得られた。今後は登録データを解析しエビデンスの創出を目指すとともに、鼻副鼻腔癌、喉頭癌・下咽頭癌を対象とした後方視的観察研究を推進していく。
【頭頸部がんに対して最適な治療を提供するためのクリニカル・クエスチョン】
1 口腔がん
CQ1 口腔癌cN1 症例に対する頸部郭清においてレベルⅤの郭清は省略できるか?
肩甲舌骨筋上頸部郭清術(supraomohyoid neck dissection : SOHND)はレベルⅠ・Ⅱ・Ⅲ領域を対象とした選択的頸部郭清術に分類され、舌・口腔癌に対する予防的頸部郭清の術式として世界的に広く受け入れられ、近年、N1 症例に対しても推奨する報告もみられる。そこで、当院耳鼻咽喉・頭頸部外科ならびに口腔外科にてレベルⅠ~Ⅴまでの頸部郭清術を施行した口腔癌cN1 症例について、cN1 症例に対する郭清範囲縮小の妥当性について検討した。100例中66例において病理組織学的リンパ節転移(pN)を認め、大半の症例では最遠位転移はレベルⅢまでに留まっておいた。
レベルⅣに転移が認められたのはpN2 の2例のみで、いずれもレベルⅢのリンパ節にも転移していた。cN1 と診断した100例のうちレベルⅤへの転移はなく、少なくともレベルⅤの郭清は省略できると考えられた。
CQ2 Blowing Time Ratio は鼻咽腔閉鎖機能の評価に有用か?
鼻咽腔閉鎖機能不全による構音・嚥下障害は、口腔・中咽頭癌切除後に最も問題となる機能障害である。Blowing Test は口蓋裂患者の鼻咽腔閉鎖機能を評価する簡便なツールとして本邦で使用されてきた評価法で、「ペットボトルの水をストローで吹かせる」という単純なテストである。われわれはこのテスト方法に着目し、外鼻孔を閉じた状態と開いた状態でボトルの水をストローでやさしく吹いてもらい、開鼻時のblowing 時間を閉鼻時のblowing 時間で割ったものを“Blowing Time Ratio”と定義して、口腔・中咽頭癌患者の鼻咽腔閉鎖機能評価法としての有用性を検討した。
Blowing Time Ratio は100音節発話明瞭度検査や廣瀬の会話機能評価基準、嚥下時の鼻咽腔圧とも有意に相関し、口腔・中咽頭癌患者の鼻咽腔閉鎖機能を評価する簡便で客観的なツールであると考えられた。
2 中咽頭癌
CQ1 中咽頭癌に対する化学放射線療法に栄養サポートチームの介入は有用か?
咽頭・喉頭は、呼吸、摂食、コミュニケーションに密接にかかわる部位であることから、中咽頭癌に対する初回根治治療としてシスプラチン(CDDP)同時併用による化学放射線療法(CCRT)が選択されることが増えてきた。CDDP併用CCRT において十分な効果を得るためには、計画通りに放射線治療が実施され、CDDP の総投与量が200mg/m2以上となることが重要であると考えられているが、照射による粘膜炎で経口摂取が困難となり、休止やCDDP の減量となることが少なくない。CCRT の治療成績向上を目指し、われわれは2007年から中咽頭癌患者を対象にCCRT 施行前にPEG(percutaneous endoscopic gastrostomy)を施行し、治療の経過中に経口摂取量が減少すると胃瘻栄養を行う方針とした。しかし摂取栄養量の増加につながらず、2010年からは頭頸部外科医や看護師、薬剤師、管理栄養士、言語聴覚士、歯科衛生士が栄養サポートチーム(NST)を構成し、早期から積極的に栄養介入することとした。その結果、有意にエネルギー摂取量が増加し、粘膜炎や白血球数の減少などの有害事象は軽減。CDDP の総投与量が200mg/m2以上となる症例も増加した。PEG を挿入し積極的にNST が介入することにより、CCRT に伴う有害事象の発現を減少させるだけでなく、生命予後を改善させる可能性があると考えられた。
CQ2 ALDH2(アルデヒド脱水素酵素2)の遺伝子多型は中咽頭癌の予後予測に有用か?
喫煙や飲酒率の減少とともにこれらを原因とした頭頸部がんは減少傾向にあるが、近年HPV(ヒト乳頭腫ウイルス)関連中咽頭癌が増加している。治療法によらず予後良好であることから、UCCN/AJCC のTNM 分類第8版において、p16 陽性中咽頭癌として独立し、飲酒や喫煙が発症要因の古典的な中咽頭癌とは別疾患としてとらえるようになった。米国ではAng らがHPV 関連の有無と喫煙歴が中咽頭癌の予後因子であるとし、本邦では齋藤らがHPV 関連の有無と飲酒歴が中咽頭癌の予後と関連すると報告している。アセトアルデヒド分解酵素であるALDH2 はヘテロタイプの場合、ホモに比較してアルデヒドの血中濃度が6倍にもなるとされ、ヘテロタイプでは食道癌の発生リスクが上昇することが知られている。日本人の約半数がヘテロタイプなのに対し、欧米ではほとんどがホモタイプである。われわれは、日米のリスク因子の違いはALDH2 の遺伝子多型と関連していると推測し、ALDH2 遺伝子多型と中咽頭癌の予後との関連について検討した。その結果、p16 陰性(HPV 非関連)中咽頭癌患者ではALDH2 ヘテロタイプ(アルデヒド分解能が低いタイプ)の方がホモタイプに比較して予後が不良である傾向が見られた(p=0.086)。p16 陰性患者の中では、ALDH2 ヘテロタイプの患者はホモタイプの患者に比較して有意に頭頸部・食道の重複癌の頻度が高かった(p=0.0065)。
3 下咽頭癌
CQ1 下咽頭癌に対する根治治療において外側咽頭後リンパ節郭清は有用か?
外側咽頭後リンパ節(RPLN)はルビエールリンパ節とも呼ばれ、前方を咽頭収縮筋、後方を椎前筋膜で境界された副咽頭間隙内に存在する。上咽頭癌、中咽頭癌と同様に下咽頭癌においてもしばしばRPLN に転移し、頸部痛や舌咽神経、迷走神経などの下部脳神経症状や失神発作などの症状が発症した時点では切除不能であることが多い。そこでわれわれは、下咽頭喉頭全摘術施行時は全例両側のRPLN 郭清を施行し、術後にCDDP 同時併用化学放射線療法(CRT)を行う方針をとってきた。5年以上または死亡時まで経過を追えた連続する98例を対象に検討したところ、術前のPET―CT で98例中9例にRPLN 転移が同定され、その9例は病理学的にもRPLN 転移陽性であった。術前にPET―CTでRPLN 転移が指摘されなかった89例の中では、郭清によって7例に転移がみられた。全症例のRPLN 転移率は16%(16/98例)で、1例で両側RPLN 転移を認めた。亜部位別では、梨状陥凹11%(7/62例)、後壁25%(4/16例)、輪状後部20%(4/20例)でRPLN 転移が認められた。RPLN 転移例の2年全生存率66%、5年全生存率41%、2年疾患特異的生存率66%、5年疾患特異的生存率49%であった。RPLN 転移陰性例の2年全生存率は69%、5年全生存率49%、2年疾患特異的生存率78%、5年疾患特異的生存率63%であり、RPLN 転移陽性例と陰性例とで生存率に有意な差は見られなかった。RPLN を郭清し術後CRT を施行することにより、下咽頭癌の予後は改善できるものと考えられた。
4 甲状腺癌
CQ1 甲状腺腫瘤の診断に液状検体細胞診(Liquid Biopsy)は有用か?
穿刺吸引細胞診(FNA)は、現在、甲状腺腫瘤に対する最も信頼できる病理診断法として行われているが、「意義不明な異型」または「意義不明な濾胞性病変」と報告された濾胞性病変の2~3割は悪性だといわれている。CyclinD1はG1 期の早期分裂を促進し細胞合成にかかわる細胞転写G1/S 期の調節遺伝子で、甲状腺癌を含む多くの癌において過剰発現されている。そこでわれわれは、液状検体細胞診の検体を用いたCyclinD1 の免疫染色が診断に有用か検討した。各検体における細胞数の中央値は131個、一検体当たりのCyclin D1 陽性率は中央値61%で、CyclinD1 核染色率46%をカットオフ値とすると、悪性腫瘍の診断は感度85%、特異度100%であった。液状検体細胞診検体を用いたCyclinD1 スクリーニングシステムは高い感度と特異度を有し、特に濾胞性腫瘍の良・悪鑑別に有用であると考えられた。
CQ2 術前から麻痺した反回神経の神経即時再建は有用か?
甲状腺癌の手術において反回神経の損傷による音声障害は最も重篤な合併症の1つである。反回神経麻痺による嗄声の改善を目的とした治療には、声帯内注入術、甲状軟骨形成術Ⅰ型、披裂軟骨内転術などさまざまな方法が提案されているが、反回神経即時再建術はほかの音声改善手術と異なり甲状腺癌の切除と同時に施行でき、声帯の脱神経による甲状披裂筋の萎縮を防げるという利点がある。術前から声帯が固定している症例に対する反回神経即時再建の意義を検討するために、隈病院で甲状腺癌切除時に反回神経を即時再建した症例の音声を継時的に評価したところ、術前から声帯が固定していた群でも非固定群と同様の音声の質に達していた。甲状腺癌においては、術前から声帯麻痺がみられても反回神経を即時再建するべきであると考えられた。
5 唾液腺癌
CQ1 粘表皮癌の診療に融合遺伝子の検査は有用か?
粘表皮癌は唾液腺悪性腫瘍の中で約20%と最も頻度が高い病理組織学型で、低悪性度・中等度悪性度・高悪性度に分類される。しかし施設により分類にばらつきがみられ、予後との相関についても報告により異なる。最近、粘表皮癌に特徴的な染色体の転座に伴うキメラ遺伝子(t 11:19()q21:p13)CRTC1―MAML2 が報告され、この遺伝子によりCREB 経路が活性化され、EGFR のリガンドの1つであるAREG 蛋白が増加することが明らかとなってきた。そこでわれわれは、粘表皮癌におけるCRTC1―MAML2 遺伝子の検出とAREG 蛋白の免疫染色の有用性を検討した。CRTC1―MAML2 遺伝子陽性例は有意に予後良好であり、粘表皮癌の独立した予後因子であると考えられた。また、CRTC1―MAML2 遺伝子とAREG 免疫染色との間に有意な相関がみられ、AREG 免疫染色はCRTC1―MAML2 遺伝子の代替マーカーとなり得ると考えられた。
CQ2 唾液腺腺癌NOS の診療に遺伝子検査・免疫染色は有用か?
唾液腺導管癌は浸潤性乳管癌類似の病理組織像を示すことを特徴とする高悪性度の組織型であり、アンドロゲン受容体(AR)やHER2 が高率に陽性であることが知られている。AR 陽性例に対するアンドロゲン遮断療法やHER2 陽性例に対する抗HER2 療法が試みられ、本邦でも有効性が報告され出した。一方、腺癌not otherwise specified(NOS)は腺系の分化を示すものの、そのほかに病理組織学的特徴を欠く高悪性度の組織型である。AR やHER2 で陽性を示し上述の治療が奏効したとの報告が散見されることから、唾液腺導管癌とのゲノムレベルでの類似性が想定される。われわれは、唾液腺導管癌と腺癌NOS の両組織型を免疫組織染色と次世代シークエンスにより比較検討した。その結果、腺癌NOS の中にはAR やHER2 が陽性で遺伝子プロファイルも唾液腺導管癌に類似し、極めて予後不良なAR 陽性群とAR・HER2 陰性で唾液腺導管癌と遺伝子プロファイルが全く異なり予後良好なAR 陰性群とに大別されることが明らかとなった。腺癌NOS の診療においても唾液腺導管癌と同様、AR とHER2 のスクリーニングを行うことは治療選択ならびに予後予測に重要であると考えられた。
6 嗅神経芽細胞腫
CQ 嗅神経芽細胞腫の診断にNeuroD とGAP43 の免疫染色は有用か?
嗅神経芽細胞腫は鼻腔の天蓋に位置する嗅粘膜を発生母地とする悪性腫瘍で、進行は緩徐なことが多いとされるが、しばしば急速に進行し、局所再発や転移を繰り返す。病理学的悪性度に関してはHyams らの分類が用いられているが、当科の症例ではLow grade(I/II)とHigh grade(III/IV)との間に有意な差はみられない。また、嗅神経芽細胞腫と鼻腔に発生するsmall round cell tumor(SRCT)との鑑別に悩むことも少なくない。そこでわれわれは、嗅神経細胞の各分化過程のマーカーとして用いられているNeuroD、GAP43、OMP の免疫染色を行い、予後予測因子としての可能性、鑑別診断への有用性を検討した。未治療新鮮例に対して手術を行った20例中、OMP 陽性例はみられず、GAP陽性は7例、NeuroD 陽性は13例で、GAP43/NeuroD 陰性例は早期に再発を来す傾向が認められた。一方、鼻腔に発生したSRCT(小細胞癌2例、未分化癌2例、神経内分泌腫瘍1例、悪性末梢神経鞘腫1例)では、6例中、NeuroD1 は未分化癌と小細胞癌の各1例で陽性で、GAP43 は6例すべて陰性であった。GAP43 とNeuroD は嗅神経芽細胞腫の鑑別診断と予後予測に有用であると考えられた。
7 頸動脈小体腫瘍
CQ 頸動脈小体腫瘍の診療にSDH 遺伝子検査は有用か?
頸動脈小体腫瘍は頸動脈外膜中の化学受容体である頸動脈小体から発生する傍神経節腫である。約10%で家族性に見られ、約5~10%で両側性に発生する。近年、ミトコンドリア膜内部に存在する酵素複合体succinate dehydrogenase(SDH)遺伝子の変異が発症にかかわっている症例があり、変異の部位により発生様式、遺伝様式、悪性度が異なることが明らかとなってきた。当院で経過観察中の頸動脈小体症例20例にSDH 遺伝子の検査を行ったところ、SDHB 遺伝子変異を5例(内1例は良性多型・同一症例でSDHD 遺伝子変異有)、SDHD 遺伝子変異を3例に認め、現在5例が解析中である。頭頸部領域に多発病変を認めた1例に新規のSDHD 遺伝子変異を、多発遠隔転移を認め死亡した1例に新規のSDHB 変異を認め、遺伝子変異の診断は治療方針の決定に重要であると考えられた。
8 外耳道癌
CQ TPF 同時併用化学放射線療法は外耳道癌に有効か?
聴器癌は発生率が100万人あたり数人とまれな腫瘍である。早期癌には外側一塊切除が標準治療とされ高い治癒率が得られている。しかし、側頭骨内を内頸動脈、内頸静脈、脳神経などの重要臓器が走行することから、進行癌では十分な安全域をとった根治切除が困難なことが多い。側頭骨亜全摘では顔面神経麻痺や難聴、平衡機能障害、咬合不全などの後遺症を伴い、髄膜炎、脳出血、脳浮腫など重篤な合併症のリスクも伴う。われわれは、2006年よりTPF(ドセタキセル、シスプラチン、5―FU)を同時併用した強力な放射線治療を進行聴器扁平上皮癌に対して行ってきた。TPF―CRT は切除不能7例を含む10例に施行され、CR が7例、PR が3例であった。PR の3例はいずれも局所再発で死亡したが、CR7例中6例は現在まで再発なく生存している。切除不能なT4 症例でも5年生存率56%と有望な結果が得られたため、多施設共同研究を見据え、現在、第一相臨床試験を実施している。
9 支持療法
CQ1 頸部郭清術後にリハビリテーションは有用か?
根治的頸部郭清術(RND)の基本概念は、下顎下縁・僧帽筋前縁・鎖骨上縁に囲まれた領域の脂肪組織を胸鎖乳突筋・内頸静脈・副神経を含めて一塊に切除することにより頸部リンパ節を徹底して郭清するというものであり、現在でも悪性腫瘍の頸部リンパ節転移に対する最も根治性の高い術式として世界中で行われている。しかし、本術式が普及し適応が拡大されるにつれ、頸部の疼痛や上肢の挙上障害などさまざまな後遺症が問題となり、非リンパ臓器を温存し郭清範囲を縮小するさまざまな術式が提唱されてきた。局所制御率や生存率からその妥当性について活発な検討がなされているものの、本来の目的である術後機能やQuality of Life の観点から、これら機能的頸部郭清術の有効性を検証した報告は極めて少ない。そこでわれわれは、機能的頸部郭清術の有効性を検証するために、頸部や肩に関する質問票と副神経機能の簡易検査法「上肢挙上テスト」を考案した。多施設共同研究で検討した結果、レベルⅤを郭清した場合は、積極的な術後リハビリテーションを施行することにより肩関節の拘縮が予防され、有意に上肢挙上機能が保たれることを示した。
【新規医療技術の開発】
1 遺伝子治療
1 )増殖制限型アデノウイルスよる腫瘍溶解性ウイルス治療
COX(Cyclooxygenase)はアラキドン酸を基質としてプロスタグランジンやトロンボキサンを生成する酵素であり、COX1 とCOX2 の2種類の酵素型が知られている。COX1 は多くの細胞で恒常的に発現しており、胃粘膜保護作用や血小板凝集作用などの生理的役割を持っている。一方、COX2 は正常細胞での発現は認めず、種々の刺激で誘導され、頭頸部扁平上皮癌をはじめさまざまな悪性腫瘍においても過剰発現が認められる。われわれは、アデノウイルスの増殖に必要な初期遺伝子(E1a)の上流にCOX―2 臓器特異性プロモータを組み込み、COX―2 を発現する細胞において特異的に増殖する機能を持ったアデノウイルスベクターAd―COX2―E1a を作成し、Ad―COX2―E1a はCOX2 を発現したマウス頭頸部扁平上皮癌モデルにおいて特異的に抗腫瘍効果を発揮することを報告した。この結果を踏まえ、さらに、Midkine をプロモータとした増殖制限型アデノウイルスに、上皮成長因子受容体Epidermal growth factor receptor(EGFR)に対するsmall interfering RNA(siRNA)の遺伝子を組み込んだAd―Midkine―siEGFR を作成し、Midkine を高発現する腫瘍細胞でのみ特異的に増殖して腫瘍を殺傷するとともに、EGFR の発現を抑制することにより腫瘍の増殖を抑制する能力を併せ持つことをin vitro レベルで明らかにした。
2 腫瘍免疫療法
1 )B7 遺伝子導入による腫瘍免疫療法
がんの免疫逃避機構が解明され、頭頸部がんにおいても免疫チェックポイント阻害薬は新たな治療選択肢として注目を集めている。しかし、実臨床における奏効率は再発・転移性の頭頸部がんに対して15~20%に留まっている。共刺激分子B7(CD80)は樹状細胞上に発現し、T細胞上に発現するCD28 分子と結合することにより、T細胞上のT細胞受容体(TCR)と樹状細胞上のMHC/抗原複合体との結合と共に、細胞障害性T細胞(CTL)を活性化する仕組みを担っている。しかし、多くの腫瘍細胞はB7 分子の発現を欠くため、CTL は応答せず腫瘍は免疫系によっては排除されない。そこでわれわれは、アデノウイルスを用いてB7 分子(CD80)遺伝子をマウス扁平上皮癌モデルに導入することにより、腫瘍特異的CTL が効率的に増幅され、B7 分子(CD80)を発現した腫瘍細胞のみならず、導入されていない腫瘍細胞にも増殖抑制効果を示すことを報告した。この成果を踏まえ、現在、B7 遺伝子導入と抗PD―1 抗体の併用による相乗効果を、マウス扁平上皮癌モデルを用いて検討している。
2 )免疫チェックポイント阻害剤併用放射線治療
頭頸部がんにおける免疫チェックポイント阻害薬は新たな治療選択肢として注目を集めている。現在、放射線治療との併用の臨床治験が実施されているが、その機序についても十分解明されていない。そこでわれわれは、HPV 陽性頭頸部扁平上皮癌マウスモデルを用いて、2Gy 分割照射と抗PD―1 抗体の併用について、その治療効果と機序を検討した。放射線と抗PD―1 抗体併用群は、放射線単独治療群や抗PD―1 抗体単独治療群と比較して、有意に腫瘍の増殖を抑制した。しかし、照射範囲外の腫瘍については、明らかな腫瘍増殖の抑制効果を認めなかった。抗PD―1 抗体治療は、放射線によって増強したPD―L1 の免疫抑制シグナルを遮断することにより、細胞障害性T細胞を活性化して併用効果を発揮すると考えられた。
丹生 健一(にぶ けんいち)
学歴:1986年 東京大学医学部卒
1986年 医師国家試験合格
1995年 医学博士取得(東京大学)
職歴:1990年 癌研究会附属病院頭頸科 医員
1993年 東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科 助手
1996年 ジェファーソン医科大学 客員研究員
2000年 東京大学医学部 耳鼻咽喉科 講師
2001年 神戸大学大学院 耳鼻咽喉・頭頸部外科 教授
2005年 神戸大学附属病院副病院長
2011年 神戸大学大学院副医学研究科長
資格:日本耳鼻咽喉科学会認定専門医・日本耳鼻咽喉科学会認定指導医・がん治療認定医・頭頸部がん専門医指導医・頭頸部がん専門医
学会役員など:
日本耳鼻咽喉科学会理事 (専門医制度・財務・企画担当)
日本頭頸部癌学会理事 (悪性腫瘍登録・ガイドライン担当)
日本頭頸部外科学会前副理事長(頭頸部がん専門医制度担当)
日本喉頭科学会前理事長
Asian Society of Head and Neck Oncology 元理事長
International Federation of Head and Neck Oncologic Societies: Executive Council
American Academy of Otolaryngology-HNS 国際会員
Collegium Oto-Rhino-Laryngologicum Amicitiate Sacrum 会員
2019/05/10 14:00〜15:00 第1会場